地形図解説 ー地形・村落・都市ー/港町 長崎(長崎)
解説
長崎は江戸時代の鎖国政策においても、外国との窓口になっていた異国情緒あふれる港町である。現在も市内に中華街や唐寺、外人墓地、グラバー邸に代表される洋館が残っており、観光都市にもなっている。また、世界で広島の次に原爆が投下された都市であり、国際平和を願う都市としても知られている。
長崎の気候は温暖多雨で、地形は沈降してできたリアス海岸のため、山がちななかに わずかな平地や低地をもち、すり鉢のような形をしている。市街地は、オランダ坂など坂が多いため、宅地に適した土地が少なく、山腹を削って造成された新興住宅地が目立っている。
複雑な地形をもつ長崎は、適当な水源がなく、本格的な上水道の設置を迫られていた。日本の近代水道の始まりは、横浜とそれに続く函館であるが、いずれも河川からの取水であった。その後、長崎では1891(明治24)年、中島川上流に堤防を築き、本河内高部水源地をつくった。専用ダムをもつ貯水池式の水道は日本最初のものである。
江戸時代依頼の貿易港として、1923年から1943年にかけて、シャンハイ(上海)との間に定期航路も開かれていた。現在も港の近代化に力を入れ、船舶の大型化・高速化に対応させている。また、一時ほどではないが、造船業は長崎の重要な産業であることに変わりない。このほか、水産業も依然として重要な産業となっている。
長崎の気候は温暖多雨で、地形は沈降してできたリアス海岸のため、山がちななかに わずかな平地や低地をもち、すり鉢のような形をしている。市街地は、オランダ坂など坂が多いため、宅地に適した土地が少なく、山腹を削って造成された新興住宅地が目立っている。
複雑な地形をもつ長崎は、適当な水源がなく、本格的な上水道の設置を迫られていた。日本の近代水道の始まりは、横浜とそれに続く函館であるが、いずれも河川からの取水であった。その後、長崎では1891(明治24)年、中島川上流に堤防を築き、本河内高部水源地をつくった。専用ダムをもつ貯水池式の水道は日本最初のものである。
江戸時代依頼の貿易港として、1923年から1943年にかけて、シャンハイ(上海)との間に定期航路も開かれていた。現在も港の近代化に力を入れ、船舶の大型化・高速化に対応させている。また、一時ほどではないが、造船業は長崎の重要な産業であることに変わりない。このほか、水産業も依然として重要な産業となっている。